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友人達から、yahoo見たよ!とメールが入り 何のことやらと、最近続けて、新聞の取材があったので、
そのかな?何のこと?と思っていたら、友人の電話で、知らされ日刊ゲンダイの記事がそのまま
Yahoo News に載っていてビックリ!
私にとってもNewsです。
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(Yahoo!ニュース/エンタメ)
▼日刊ゲンダイ 11月30日(月)9時26分配信
「今日も夢見る」の万里村れいさん 今もマイペースで活動中
1960年代半ば、アメリカのフォークグループ、PPMやキングストン・トリオに影響を受けた大学生による“カレッジフォークブーム”が起きた。万里村れいとザ・タイム・セラーズが歌ってヒットした「今日も夢みる」もそうした一曲だ。紅一点だった万里村さんは、今どうしているのか。
「年に1回、ソロコンサートで歌う。そんな感じで、マイペースでやらせていただいてます。先日の渋谷のライブハウスは200人以上のお客さまで昼夜満席でした。ワタシの場合、ついおしゃべりが過ぎちゃって、予定してた曲をカットしなくちゃならないケースがままありまして、フフフ」
横浜市港北区にある自宅で会った万里村さん、こういって笑った。
鬱蒼とした木々に囲まれた広大な庭に、瀟洒な邸宅。毎年春、港北区の依頼でオープンガーデンとして一般公開しているそうだ。
「ある企業の重役だった父が残してくれたんですが、家を建て替えようとしたら、大工さんに“壊すのはもったいない”と言われましてね。それは見事な数寄屋造りの離れがあったんです」
さて、万里村さんは慶大1年の時、スキー部の先輩と「フォーダイムズ」なるフォークグループを結成。「夕陽が沈む」でデビューし、ザ・ワイルドワンズの「想い出の渚」と同時発売だったため、一緒に全国キャンペーンをした。
「父が芸能活動に猛反対でしたから、先輩たちが気を使い、地方に行っても楽屋から一歩も外に出してくれないんです。今は親しくさせていただいてる黒沢久雄さんやマイク真木さんたちとも、当時、口を利いたことがありませんでした」
先輩の卒業と同時にグループは解散。万里村さんは後輩たちと「万里村れいとザ・タイム・セラーズ」をつくり、「今日も夢みる」を大ヒットさせた。この曲は前田武彦司会のラジオ番組「ヤング・ヤング・ヤング」(ニッポン放送)が一般公募したもので、補作詞前田、補作曲が中村八大だった。
「実はこの曲、それほど思い入れはなかったんです。というのも、最初に番組で歌ったザ・モダンフォーク・フェローズがメンバーの都合でレコード化を断り、ワタシたちにお鉢が回ってきたもので。もちろん、今ではかけがえのない宝物です」
■「小さな日記」を歌っていたら…
父親との約束通り、大学卒業と同時に歌手活動をやめた。
「卒業間際、レコード会社から“ぜひ歌って欲しい曲がある”と連絡があったんです。それが後にフォー・セインツが歌って大ヒットした『小さな日記』でした。父が“これ以上娘を誘惑しないでくれ!”と電話をガチャンと切ってしまい、それでおしまい。もし私が歌ってたら……と夢想することはあります」
かくして97年に復帰するまで約30年の空白があった。
「その間、結婚して、2人の子供に童謡を聞かせるぐらい。歌うことはほとんどありませんでした。でも、昔のメンバーと会ったりしてるうちに歌いたいって衝動がムクムクと頭をもたげ、主人の了解も得てカムバックとなった次第です」
98年には六本木のライブハウスで「フォーダイムズ」の再結成ライブを行い、06年にグループでの活動を終えてからはひとりで活動している。また、宝石デザイナーとしての顔も持つ。
「都内で経営してる録音スタジオは本来、ワタシのボイストレーニング用だったんです。だから、いつでも歌う準備は整ってます」