〜カレッジフォークの時代〜

1960年代とは日本人にとって、経済的にも、文化的にも、精神的にも、社会的にも、政治的にも、本当に激動の時代でした。これほど大きなうねりを、しかもきわめて短期間の内に経験した国民も稀でしょうね。
1964年だけを見ても9月に、名神高速完成、東京モノレール開業、10月には、東海道新幹線開業、東京オリンピック開催などなど...。日本が経済大国として国際的な地位を復活させた時代といえるでしょう。

一方で、1963年のアメリカはといえば、日米間テレビ宇宙中継実験の最初の画像が、なんとケネディー大統領の暗殺ニュースという、あまりにも大きな衝撃の年でした。当時、米国内では、ベトナム戦争反対運動、人種差別反対運動などの問題が深刻化していたんですね。
 そんな背景のなかで、“ボブ・ディラン”が、そして、“ジョーン・バエズ”、 “ピーター・ポール&マリー”、など、いわゆる「モダン・フォーク」と云われるミュージックが誕生し、日本に伝わってきた訳です。
そんな時代背景の中にいた日本の学生達は、何か新しいものに取りつきたいと言う渇望感に襲われていたとしてもまったく不思議ではない状況だったと思いますね。当時の日本国内の音楽といえば、演歌、民謡、唱歌、軍歌などが主流で、歌謡曲が出始めてきた頃でした。 

時おりしもカラーテレビが急速に普及し、「ヒットパレード」とか「歌え太陽」、「スター千一夜」などのいわゆる歌番組が大きな人気を占めてきました。坂本九の「上を向いて歩こう」がアメリカで100万枚売れたのもこの時代でした。音楽の分野でもきっと大きな噴流が起きていたのでしょう。

大学生を中心にした若者達は、時を同じくして日本の全国各地で、従来まったく経験したことのない、新しいミュージックとしてアメリカンフォークに飛びついたのです。 いわゆる、カレッジ・フォークの時代といわれた時期です。この頃、一部の大学で始まった学内紛争があっという間に他の大学に拡がりを見せ、社会問題となった時でした。

われわれフォーダイムスは、女性一人を含む編成という事もあって、ごく自然に “ピーター・ポール&マリー” (P.P.&M)に飛びつきました。 
心から、その美しい、そして、新しいサウンドに、魅了されました。

当時の日本のフォークグループは、といえば、“ジュニア・ジャンボリー”とか“スチューデント・フェスティバル”などの公演会を通じて、もちろん、ライブ演奏を主体に活動していました。
草創期の日本のカレッジ・フォークの中でも代表的なアーティストには次のような人たちがいます。

P.P.Mフォロワ―ズ (多摩美大他/小室等ら)
ブロードサイド・フォー(成城、玉川/黒澤久雄ら)
モダンフォーク・クヮルテット(日大/マイク真木ら)
ランブリング・バーミンズ(慶応、学習院)
ニュー・フロンティアーズ (慶応)
森山良子(成城学園高)